1999年~2009年のスコア、パット数などの検証をしてみたが、もう少し遡って見てみよう。実は、1999年途中から全てのホール毎のスコアや、ラウンドコメントなどはMIZUNOのサイトで管理しているので、詳細な情報が存在する。しかし、それ以前はメモ程度の情報なので、パット数も不明であるが、大よその変遷は見える。また、2007年はクラブ選手権の予選、決勝(3ラウンド)や、年末の極寒のラウンドなどが含まれていなかったので、それも含めた改定版を作った。結果、2007年は若干平均スコアが悪くなっている。実は、この記録を残す以前までの会社に入ってからの8年間については全く記録がない。それも当然で、付き合い程度のゴルフしかしていなかったし、お山の大将みたいな感じだった。クラブも学生時代の延長で、ただ一つだけ、ドライバがメタル全盛になった頃(1990年頃)に、TaylormadeのTour Preferedと言うベストセラーのドライバを買ったくらいだった。
そんな時、1992年頃からインターネットが普及しだして、インターネットのゴルフ仲間ができた。その結果、最新のゴルフ事情を知るようになり、会社以外の仲間で集まってゴルフコンペなども行うようになったので、急にゴルフにやる気が出て来きた記憶がある。それが、この時期からスコア記録が残った理由かも知れない。
遊びでゴルフを始めたのが、中学に入った頃で、中学、高校と2本のアイアンと手作りのクラブでボールを打つ程度だったが、その当時遊んだ事や、大学に入って本格的にゴルフをやったお蔭で、20代、30代は身体が覚えていてくれたようだ。もしかしたら、アプローチやパットがその時の遺産なのかも知れない。その例として、一般に言われるのは、ゴルフを始めた年齢の半分くらいにHDCPは行くそうで、正に私に当てはまる。問題は、それ以上にいくかどうかで、今は努力次第で行くのだと確信して努力している。
さて、1993年、1994年頃のスコアは悪くはないが、基本的には白ティーで易しいコースだったので、今とは内容が比較にならないだろう。1995年にホームコースに入った後はラウンド回数が増えたが、やはり仲間が出来たのでなんとなくゴルフをやってる感じで、未だ何か目標があったわけでは無かった。
1996年の夏から翌年の夏まで英国に滞在したため、国内のゴルフが中断したが、帰国後に一気にゴルフ熱が上がった気がする。インターネット仲間の中から、よりゴルフ好きが集まるようになり、回数も増え、クラブの知識も吸収するようになったためだ。当時、新しいドライバ、ウッド、アイアンを買い換えた時期でもある。一つの転機になった気がする。
1998年に一度、クラブ選手権の予選を通過(1.5R)し決勝に進出できた(8位タイまで)が、翌年には落選してしまった。この頃から真剣に上達を目指そうと思った。そこで、1999年末にホームコースの研修会に入れてもらい、同クラスの人達と競ううちに、翌年からは毎年決勝に残れるようになった経緯がある。やはり、何か目標を持ち、同士でチェックし合い、切磋琢磨があって初めて、上達があるのだと思った。
今は、NY近辺のさまざまな人達と定期的にコンペをし、ブログで他の人の頑張りに刺激されながら、自分も何とかして上達したいと思うようになった結果、日本に居た頃、あるいはそれ以上のレベルになってきたのだと思う。
現時点では、プライベートなコンペ程度しか行っていないので、学生の頃のような競技ゴルフとは離れている。アメリカにいる間にスキルを上げて、帰国したら競技ゴルフに向かうのもシニアゴルフの楽しみかも知れない。
6 件のコメント:
こんにちは・・・meiです♪
先ほど 10年間の変遷にコメントを入れたのですが・・・匿名に・・・(爆)
帰国後 シニア競技目指してくださいね(*^-^*)/
meiさん、
競技ゴルフは緊張感があって良いですね。それと、試合で知り合う人が増えると、試合が一層楽しくなりますしね。学生時代の最初の試合は本当に足が震えた記憶があります。あれをもう一度味わいたいです。
meiさんのBlogでは時々試合や、練習ラウンドの話が出てくるので楽しみです。私が最後に試合に出たのは、83年の西日本パブリック選手権なので、もう26年も遠ざかってます。一応、クラブ選手権も緊張感があるので、良いのですが、外の試合も試したいと思います。
もうシーズンオフ近しですが、あの方々のグループは冬でもやるから今年は trimetal さんも年中ゴルフかな??
私は取り敢えず新コーチと来期を目指します・・・・
TODOSさん、
そのつもりだったのですが、先月後半から右肘の内側が痛くなり、今はゴルフを見合わせています。ただ、スイングしても痛くないので、ゴルフが原因ではないかも知れませんが、様子見状態です。
今年の冬は少しトレーニングして、身体を鍛えます。
この日のブログにゴルフをスタートした年齢の半分ぐらいのHdpにはなると有り、私、自分のHdpが4分の1になっていたので、すごーく喜びましたがこれは多分、日本での事ですよね。
私の場合、ラッキーな事にアメリカでゴルフを始めたのでプレーする回数もかなり多かったですし、
トーナメント参加も多かったからですから。
日本とは条件が違いすぎますよね。
これからもガンバッテ片手シングルまで
いきたいと願ってます。
でも、ハズバンドはゴルフはそんなに簡単な
スポーツじゃない!と
私の、大きな夢にいつも水を差すんですよね。
判ってますけど。。。夢は大きく!と思ってまーす。
スノーマンさん、
始めた年齢の半分は昔から日本で言われていましたね。でも、それも結構努力しないと行かないと私は思います。また、アメリカに住んで回数が増えても、進歩しない人も多いと思いますが。
しかし一方であっと言う間にシングル、果てはスクラッチになる人もいます。その方って他のスポーツをやってたとか、極めてセンスがあるのでしょうね。
そうでない普通の人にとって、始めた年齢の1/4と言うのは、努力の賜物でセンスがあるんじゃないでしょうか。
私も一時期ですが、1/4まで行きましたが、やはり実力じゃなかったようで、あっと言う間に1/2に戻りました。でも、努力、モチベーション次第で、もっと良くなると思います。
ご主人の仰るように、5以下のハンデは正直しんどいです。私は今がボーダーにいますが、練習を怠るとすぐに6、7に戻ると思います。そこが私の居場所なのかも知れませんが、我慢して5以下を維持するのが一つのモチベーションにもなっています。
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